2015.11.29 Sunday
みたされる
”からっぽ”の感覚が、ソロ公演終了のあたりからずーーっとあって、ライブに行って楽しくても充電できてなかった。公演あと、すぐに書く側に頭を切り替えたこともあって余計に。
今日、ゆったりと満たされた場にいることで、そのからっぽ感がなくなった。とある場で、情熱に関わるルビーを抱いていられる時間をいただいた。あったかくて、満たされて、温泉に入っているみたいにぽかぽかしてきた。その”場”自体からもあたたかさをもらって、からっぽだったところに、熱が戻ってきた。
何かをやる、という情熱が、面白いくらいに皆無で、ああ、これが惰性か、と今ならわかる。この2週間。とにかく負けないように身体を動かすしかなくて。少なくともいまは、からっぽの感覚はなくなった。
さて、とはいえ飛ばさずに、これからも貯めつつ。
今日、ゆったりと満たされた場にいることで、そのからっぽ感がなくなった。とある場で、情熱に関わるルビーを抱いていられる時間をいただいた。あったかくて、満たされて、温泉に入っているみたいにぽかぽかしてきた。その”場”自体からもあたたかさをもらって、からっぽだったところに、熱が戻ってきた。
何かをやる、という情熱が、面白いくらいに皆無で、ああ、これが惰性か、と今ならわかる。この2週間。とにかく負けないように身体を動かすしかなくて。少なくともいまは、からっぽの感覚はなくなった。
さて、とはいえ飛ばさずに、これからも貯めつつ。
2015.11.22 Sunday
やっくるが覚えててくれたこと
仙台弁はわりと”さしすせそ”が明確ではなく、特に我が家は”し”が”す”になる傾向が強かった。その為、わたしは(本名がよしみ、ですが)”よスみ”の音になっていて、1978.09.15の何気ない日常録音のテープにも、当時の父や祖母の声が残っているが”よスみちゃん”なのである。
祖母から
”よスみ、なス食えなス”って呼ばれて行ったら、梨ではなくて茄子だった、とか、”すス食えすス”が、寿司なのか煤なのか(もちろん煤は食べられませんけど)(あと、食え、って、命令形ではなくて、食べなさい、くらいの意味に捉えていただければ)
そんな話を、15年以上も前にしたんだけど、ジュンヌの後輩のやっくるが覚えててくれて(言った方は覚えてないけど言われた方は覚えてる現象の典型)めっちゃ笑ったし、嬉しかった。
仙台弁のあったかさ(語調が強いのは未だに慣れない)気づけば人生で一番長く居るのが仙台だもんなー。
祖母から
”よスみ、なス食えなス”って呼ばれて行ったら、梨ではなくて茄子だった、とか、”すス食えすス”が、寿司なのか煤なのか(もちろん煤は食べられませんけど)(あと、食え、って、命令形ではなくて、食べなさい、くらいの意味に捉えていただければ)
そんな話を、15年以上も前にしたんだけど、ジュンヌの後輩のやっくるが覚えててくれて(言った方は覚えてないけど言われた方は覚えてる現象の典型)めっちゃ笑ったし、嬉しかった。
仙台弁のあったかさ(語調が強いのは未だに慣れない)気づけば人生で一番長く居るのが仙台だもんなー。
2015.11.21 Saturday
書くこと。
2015.11.21 Saturday
書くこと
2015.11.15 Sunday
”Tight Rope” 無事終了
過日、わたしのソロプロジェクト”Tight Rope”公演が終了いたしました。ご来場いただいた皆様、応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。
今回は文学作品だけでなく、いくつかのジャンルの言葉に挑みました。改めて、言葉を捉え直すために。
敬愛するミュージシャンの曲、から、歌詞だけを読む。過去の自分の書いた言葉を読む。
ホイドーズの鉄マンさんに、6月の仙台ライブの時に直にお伺いたてました。快くOKをいただきました。しかも「もし、読むなら、こっちを読んでほしい」と、曲の候補までいただいて、、、鉄マンさん、ホイドーズの皆さん。本当にありがとうございます。
プラス、自分のユニットを立ち上げた時からやりたかった、音楽の生演奏との共演も。鍵盤奏者の服部暁典さんに演奏と作曲をお願いしました。川端康成の短編集『愛する人達』の中から「ほくろの手紙」を。
今年の春。服部さんのバンド”旅団”の演奏を聴く機会に恵まれ、わたしの血が逆流するような感覚に襲われた曲のタイトルが”Tight Rope”。あの時に、服部さんと組んでみたい、と。ソロをやるなら服部さんと、強く思ったのでした。
稽古場でのやりとりは服部さんが書いてくださっている通り。「ここって????ですよね」「あぁ、そういう解釈もあるね」論文ではないから、一義的な解釈は不要。演じ手の解釈や感情を受け取ってほしいわけではなく、あくまで帰結は聞く側に委ねたい。これは一貫して、服部さんもわたしも共通の想い。
読むように弾く、弾くように読む、と、服部さんは表現なさっていた。こういう体験ができたことは、とても幸せだ。それは、服部さんが音で語ってくれたから。その”音”に呼応して、わたしも言葉で返す。あ、いま、とけあってる、って感じる瞬間が、本番のステージでは1番多かった。
悲しそうな音楽、とか、楽しそうな音楽、を聴いて、感情のスイッチが入ると、人はなかなかそこから抜けにくいし、考えなくなる。言葉を純粋に聴いて、そこで語られる音楽を聴いて、聞き手が何を想うか。
続けていれば、やっててよかった、と思えることがある。ここ数年、とくに自分のユニットを立ち上げてからはそう感じる機会が多い。幸せなヤツだ。わたし。
改めて、服部さん、組んでいただいてありがとうございました。
今回は文学作品だけでなく、いくつかのジャンルの言葉に挑みました。改めて、言葉を捉え直すために。
敬愛するミュージシャンの曲、から、歌詞だけを読む。過去の自分の書いた言葉を読む。
ホイドーズの鉄マンさんに、6月の仙台ライブの時に直にお伺いたてました。快くOKをいただきました。しかも「もし、読むなら、こっちを読んでほしい」と、曲の候補までいただいて、、、鉄マンさん、ホイドーズの皆さん。本当にありがとうございます。
プラス、自分のユニットを立ち上げた時からやりたかった、音楽の生演奏との共演も。鍵盤奏者の服部暁典さんに演奏と作曲をお願いしました。川端康成の短編集『愛する人達』の中から「ほくろの手紙」を。
今年の春。服部さんのバンド”旅団”の演奏を聴く機会に恵まれ、わたしの血が逆流するような感覚に襲われた曲のタイトルが”Tight Rope”。あの時に、服部さんと組んでみたい、と。ソロをやるなら服部さんと、強く思ったのでした。
稽古場でのやりとりは服部さんが書いてくださっている通り。「ここって????ですよね」「あぁ、そういう解釈もあるね」論文ではないから、一義的な解釈は不要。演じ手の解釈や感情を受け取ってほしいわけではなく、あくまで帰結は聞く側に委ねたい。これは一貫して、服部さんもわたしも共通の想い。
読むように弾く、弾くように読む、と、服部さんは表現なさっていた。こういう体験ができたことは、とても幸せだ。それは、服部さんが音で語ってくれたから。その”音”に呼応して、わたしも言葉で返す。あ、いま、とけあってる、って感じる瞬間が、本番のステージでは1番多かった。
悲しそうな音楽、とか、楽しそうな音楽、を聴いて、感情のスイッチが入ると、人はなかなかそこから抜けにくいし、考えなくなる。言葉を純粋に聴いて、そこで語られる音楽を聴いて、聞き手が何を想うか。
続けていれば、やっててよかった、と思えることがある。ここ数年、とくに自分のユニットを立ち上げてからはそう感じる機会が多い。幸せなヤツだ。わたし。
改めて、服部さん、組んでいただいてありがとうございました。
2015.11.03 Tuesday
手羽元と根菜の煮物
このカテゴリー自体久しぶり、、、自炊写真は顔本アルバムにまとめているので、こっちには美味しそうにできたのだけ載せます。
手羽元と根菜のスープ。
ベースは、柚子と青紫蘇で作られた、スカイラーク・アワノさんのゆしそ。ゆしそだけだと酸っぱいので、まろやかにするのに味醂とそばつゆIN。鳥手羽でコラーゲンを、ゆしそでカロテンを補う。お肌ぷるぷる。